まきば園では夏に「アロハカード」というメッセージ交換イベントを開催しています。今回は、そのカードを2019年に一番多く獲得した野原さんにお話を伺いました。中国出身の野原さんは平成23年にまきば園に就職、介護福祉士の資格も取り、現在は主任として活躍しています。

 

日本で暮らすことになったきっかけを教えてください。

来日したのは18歳の時です。当時は東京ラブストーリーが流行っていて、織田裕二が好きで日本良いなと思い留学を決めました(笑)日本語学校に1年半通った後大学に行き、電気電子工学科で半導体を勉強していました。卒業後は教授助手として働いたり、プログラミングの仕事をしていましたが、結婚を機に退職して埼玉県に引っ越してきました。

日本に来て驚いたのは、女の人がタバコを吸っていることと、公共の場で選挙の話をしていることですね。中国では、政治の話はしないようにという教育を受けていたので、文化の違いを感じました。

 

理系のお仕事から介護への転職というのは珍しいですね。

子育てしながら通訳をしていましたが退職することになり、ハローワークに行くとヘルパー2級が取れる学校を勧められました。大学で学んだことと全然違うし戸惑いましたが、勉強するのは好きだし、義母のすすめもあったし、学校に行っている間に通訳の良い仕事が出るかもと思い通学を決めました。

資格取得後、一か月まきば園で職場体験をしました。でもそのまま特養で働く自信は持てなくて、別の法人の養護老人ホームでパートとして働くことにしました。一緒に病院に行ったり、お話をしたりしながら、初めて介護の仕事の魅力、私を必要としてくれている人がいる喜びと自信を感じました。でもそこだとチームワークが無かったり、パートだとできないことも多く、まきば園に常勤として転職することにしました。

 

介護の仕事について中国との違いは感じますか?

中国はまだ、老人ホームへの入居=親を大事にしていないとされる風潮があります。でも、1979年に一人っ子政策が始まり、あと10年くらいで2人で4人の親の面倒を見る時代が来ます。自分の子供よりちゃんとしている人たちに介護を任せた方がいいんじゃないかという流れも少しずつ出てきました。

介護職への偏見もあり、私自身、日本で介護をやっていることを中国の両親には内緒にしていました。でも両親が日本に来ることになり、まきば園のホームページを見せながら自分の仕事を説明しました。アロハシャツを見て、老人ホームでこんな服装だなんてとお父さんはびっくりしていました(笑)

 

まきば園で働く中で、印象に残る出来事はありますか?

たくさんありますが、あるお客様が亡くなった時のことは特に心に残っています。夜、プリンとお茶をお出しして、トイレにもご自身で行かれて、普段通り寝られて、ベッドにお姿を見に行ったら呼吸が止まっていました。早く気付いてあげれば良かった、息子さんにも会わせてあげられたかもしれなかったのにと後悔し、とても落ち込みました。そんな時、ナースの馬橋さんが「お客様は、野原さんを選んでくれたんだね」と声をかけてくれて、とても救われたんです。

今回もアロハカードをもらい、みんなが心配してくれていること、私のことをよく見てくれていることに改めて気づけました。人間関係が良くないと、仕事は続けられません。まきば園で多くのスタッフと出会い、助け合うことで楽しく続けてこられていることを実感しています。

 

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この記事は2019年12月発行の「まきばNEWS 3号」より転載しています。